【A】 大船高校の創立

(2) 校名「大船」に込めた思い

◆歴史的由緒のある名前「大船」」

最初は、「鎌倉北」とか「鎌倉西」とか「鎌倉」を付けた校名にしようという話があったようです。ところが、地元の私立の学校が反対し、「紛らわしいので『鎌倉』の地名は名乗らないでほしい」と言ってきたそうです。やがて「大船」という校名候補が出てきました。

「大船」という名前が選ばれた理由としては、まずJRの主要駅として知られていたということです。横須賀線が明治時代に開業した時は、東京・横浜からは直通ではなく、大船が鎌倉・横須賀方面への始発・終点駅でした。大船で東海道線から横須賀線に乗り換える必要があったので、大船には東海道線の急行も停まりました。ですから、東海道線の主要駅の1つとして名古屋・京都などに並ぶほど、駅の格が高かったのです。

また、大船の古名であった「青船」とか「粟船」とかの呼び方にも歴史的由緒がありましたし、大船は「鎌倉の看板であり玄関」ですから、校名は「大船」で良かったと思います。

ところで、大船高校の次にできる「深沢高校」の校名を決める時には、私もお手伝いしました。かつて鎌倉市が合併する前には「腰越」「大船」「深沢」という歴史的由緒がある地名がありました。腰越方面には「鎌倉高校」が移り、「七里ガ浜高校」も新設されていました。ですから、それぞれの立地の由緒や地元の方々の親しみやすさからも、かつての「大船」の地には「大船高校」、「深沢」の地には「深沢高校」という校名の学校がそれぞれ建って良かったと思っています。

◆学校に居ながらにして地域の歴史が学べる地域

歴史的由緒ということでは、例えば、大船高校からも見える「常楽寺」は、建長寺のもとになった寺で、鎌倉時代からの由緒あるお寺です。また、一番古い「無土器・先土器」という土器の無い時代の旧石器が、鎌倉では常楽寺の裏山の「粟船山」から出土しています。

校歌に「古代の入江」という歌詞がありますが、縄文時代にはこの辺りの平地は海がずーっと入ってきていて入り江だったのです。それで大船の地は、古くは「青船」とも呼ばれていました。また、玉縄城や大船観音とか松竹撮影所も日本の歴史の舞台の一つでした。それらの場所をこの学校が見下ろしているのです。「大船」という名前にはそういう由緒があることや、大船高校から見下ろしている所に歴史の生き証人がいることを、授業だけではなく開校記念日とか文化祭など色々な時に、生徒にもPTAにも話しました。

「粟船山」には先土器や縄文・弥生文化があり、「常楽寺」は中世文化の象徴の建長寺のもとになった寺、「玉縄城」は戦国時代の関東の代表的な城、「大船観音」は戦前から戦後の鎌倉のシンボルで玄関でした。さらには日本映画を代表する「松竹撮影所」がありました。大船高校では居ながらにして歴史の授業や勉強ができるのです。私が鎌倉の歴史の話をしようと思ったら、大船高校で見ているものを話せばいいわけです。「こんな生きている教材がある学校なんか無いよ」とよく話していました。

そんなこともあって、私が大船高校にいる間に、文部省の日本史の学習指導要領の改訂委員をやった時に、「地域史」という言葉を新たに入れる提案をし、採用されました。実は、前任校ではあまり「地域史」ということまで考えませんでしたが、大船高校にいたから、これが実現したのだと思います。学校周辺に生きた教材が残っていて、その歴史的由緒も学べるなんて、これはいい学校だなと思ったものです。

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